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桜散る中見送った春。 [介護のこと]


4月10日に義母が旅立ちました。

2月が誕生日だったので83歳、、、
施設での「看取りケア」でした。

2ヶ月ほど前から徐々に食欲がなくなっていった義母の残り少ない命と向き合い、
面会に行くたびに家人とともに彼女を見送る心の準備をしていった。

それは結婚してからの自分の半生を振り返ることでもあった。

17年前
一人暮らしだった義母の脳腫瘍が見つかって、検査当日緊急入院。
会社に電話があった。
当時同じ会社だったが夫は朝から打合わせで社内にいなかった。

私も午後から1つ打合わせがあったが、キャンセルして病院にかけつけると、
手術をする前に一度自宅に帰らせてくれと、
ベッドの上で大きな声で病棟の看護師長さんと口論していた。
(術後もこの婦長さん[○鳥さん]というお名前を[○カラス]と呼ぶ仲の悪さ(笑))

一人では外出許可できないというので、私が付き添いますからと、半日外出許可をもらい、
翌日一緒に自宅に戻る。
数日後には開頭手術になるので入院費用や生命保険の証書等が気になっていたのだと言う。
預金通帳や家の諸々の事などを一通り私に伝えるための外出許可なのだとわかった。

え?実の息子ではなくて嫁の私に???
(こういうところがこの人のスゴいところなのだ。)
とても信頼してくれていたんだなぁ。。。と今でも感じる。
検査日に入院して一人で開頭手術という
どれだけの恐怖と戦いながら、行動していたんでしょう?

あれから在宅介護で7年4ヶ月、施設で9年と8ヶ月、気がつけば17年が経っていた。

人の頭の中というのは複雑で摩訶不思議な世界です。
在宅介護での7年間は先が見えずに大変な事ばかりだった。

その日に理解出来なかった義母のへんてこりんな行動や言動を自分の中で処理しきれないまま、
翌日を迎える日々。。。
熟睡できた事はなかったような気がする。
(根が真面目なので納得できないと次へ進めないのですよ。私...)

当時は普通に仕事ができる生活に戻りたかった。
今思うと、介護から逃げる口実のように仕事をしていたかもしれない?

クライアントと打合わせの最中、ひっきりなしに携帯が鳴るので切る。
終わって急いで電話をすると「○○がないの〜」が日常。
帰宅するとたいてい泥棒でも入ったかのごとく彼女の探し物で家の中が荒れている。。。

そうかと思うと、帰宅しても姿がなく、そのうちに
「○○に居るから迎えに来て」などと電話がかかってくる。
怒って電話を切るとタクシーで帰宅する。

今川焼を全種類5個ずつ買ったから30個、
重くて持って帰れないからタクシーを呼んだと..._| ̄|○
悪気がないのでたちが悪いのです。
私の気持ちの持って行き場がなくなるじゃないですか、
怒るとこちらの罪悪感だけが蓄積していくんだもの。

怒らなくてもいいのにね、、、
でも愛しい我が子の子育てとは違うので愛情は湧かない、
毎日がこういう状況だと笑ってられないの。

自分のお金だからと持っていた通帳からは、
気がつけばおやつとタクシー代で年間150万が消えていた。
マジか..._| ̄|○
もっと早くなんとかすれば、我が家は綺麗にリフォームできていたかも?(笑)

自分の発病で、介護も仕事もできなくなるという状況になり、
いろんな方々のお世話になることで、介護される側の気持ちが少しわかった気がする。
病気からたくさん学びを頂いた。

つまんないことで良く怒ってたなぁ〜と、
今では全部が良い思い出に変わった気がする。

義母がお世話になっていた施設の看取りケアは素晴らしいもので、
最後の瞬間には立合う事が出来なかったけれど、多分そんなに苦しむことなく
穏やかに旅立ったんだなぁ。。。と感じる事ができた。

こんな風に見送ることが出来るとは思っていなかったので、
何だか素直に感動してしまったのだ。

施設の看護師さんたちとは、始めからなんだかとても仲が良く、
終末期には2人がかりでお世話をしてもらった。
話せなくなるまでは「ありがと〜」って言葉にできていた。

お世話になった職員さんたちは他のフロアの人たちまでも交代で自分の仕事の合間に
声をかけにきてくれるという、素敵な見送られ方だった気がする。

お義母さん、すっごい苦労したけれど、おかげで今では総てが笑い話になっちゃいました。
楽しい思い出をたくさんありがとうございました。

FullSizeRender.jpg
当日は川沿いの桜の下を通って自宅に戻ってきました。

IMG_3525.jpg
そろそろクレマチスも終盤です。

さて、来週は49日の法要と納骨式。




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コメント 8

モモパパ

一言では表せないでしょうがとにかくお疲れ様でしたm(_ _)m
うちもなんだかんだとあったものの穏やかに旅立たれたことが良かった事でしょうか・・・
by モモパパ (2016-05-21 17:29) 

タックン

人を見送ることはその過程の中でいろいろ葛藤がありますね。
でもそれが終わりを告げられたとたん、波が引くようになにもかもあっという間に消えて行くものですね。
お義母さまは、きっと感謝して旅立たれたことでしょう。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
これからは桜の咲く時期は特別な思いになるのではないでしょうか。
by タックン (2016-05-22 10:33) 

toro

何かあったのではないかと思っていました。
そうですか。お義母さまが他界されましたか。
nakasamaさんは頑張ってらっしゃったから、思いも人一倍ではないかと
思います。
きっとお義母さまの「業」は、亡くなったことで一緒に持って行ってくれたんでしょうね。
ぱーっと風呂敷を広げていたのを、さっさと包んでいかれたイメージがわきます。
nakasamaさん、お疲れ様でした。
お義母さまには、安らかにお休みください……。
by toro (2016-05-23 08:52) 

nakasama

*みなさまへ*
ほったらかしのブログにコメントいただきありがとうございます。
しばらくお伺いもできずにすみません。m(__)m

施設の看護師さんたちの看取りケアはほんとに普段と変わらずで、明るく元気に義母に接してくれていて、自分の中の終末期や看取りのイメージがずいぶんと変わりました。
事前にどのような変化が現れるのか?それはなぜか?という具体的な説明や手書きの資料のおかげで、家族も皆穏やかな気持ちで見送ることができました。
何度か経験してきて病気の場合でも、看取りとはこうあるべきだな〜と思いました。
いや〜、人ってすごいですね。
by nakasama (2016-05-23 13:22) 

ちょろっとぶぅ

nakasamaさん、お疲れ様でした。
49日をすまされて、少し落ち着かれたでしょうか。

お義母さま、穏やかに眠れて幸せだったと思います。
楽しい思い出がたくさん、素敵です。
しばらくは、ゆっくり過ごしてくださいね。
by ちょろっとぶぅ (2016-06-04 16:25) 

nakasama

*ぶうたんさま*
ありがとうございます。
ここ数年、家族や友達を見送ることが増えましたが、色々勉強になりました。
死に対する自分のイメージも以前とは違ってきたなぁ〜と思います。

すっかりご無沙汰しちゃってますので、ぼちぼちブログ復帰しようと思ってるんですが、仕事以外の仕事が増えてPCに向かう時間がない〜。
^^;

by nakasama (2016-06-06 14:47) 

空の下

謹んで義母さまのご冥福をお祈りいたします。
by 空の下 (2016-06-21 17:29) 

nakasama

*空の下のBeeさま、、、かな?
ありがとうございます。
皆様お元気ですか?
by nakasama (2016-06-22 17:52) 

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